


我輩は猫である。名前はまだ無い。
主人も我輩をモデルにして初めて小説といふものを書き、性の悪い牡蠣の如く書斎に吸ひ付いて居つたのが急に一個の新面目を施したのであるから、名前位つけて呉れてもよささうなものだが、一向に其様な気配もないのは、兎に角面倒な事が厭なのである。
カステラと云へば、主人が用事で京都へ出かけたときだ。序に見物もし、東本願寺では俳句もやるといふ管長からカステラを貰つた。当夜の日記を覗いて見ると下の様に書いてある。
○帰途カステラを包んでくれる。
カステラを入れる所なし。
其処からは人力車で東寺へ廻つた。絵馬堂には茶見世が出て居た。
○五重塔を春の温かき空に仰ぐ
カステラを抱いて徘徊す
どうせ茶事で出たカステラを懐紙にでも包んで呉れたものだらう。鼻の下の黒い毛を撚りながらカステラ一つ持て余して居る容子を想像すると可笑しくもあり、些と気の毒でもある。
主人とカステラの話は、大病の最中カステラを欲しがつたり、カステラの妙な当字を考へついたりと他にもあるが、主人の文章と我輩のとを掻き交ぜて書きつけたこんなものが見付かつたら「此馬鹿野郎」と怒鳴られるのが落ちだ。剣呑々々。此辺で止めて置く事にし様。
主人も我輩をモデルにして初めて小説といふものを書き、性の悪い牡蠣の如く書斎に吸ひ付いて居つたのが急に一個の新面目を施したのであるから、名前位つけて呉れてもよささうなものだが、一向に其様な気配もないのは、兎に角面倒な事が厭なのである。
カステラと云へば、主人が用事で京都へ出かけたときだ。序に見物もし、東本願寺では俳句もやるといふ管長からカステラを貰つた。当夜の日記を覗いて見ると下の様に書いてある。
○帰途カステラを包んでくれる。
カステラを入れる所なし。
其処からは人力車で東寺へ廻つた。絵馬堂には茶見世が出て居た。
○五重塔を春の温かき空に仰ぐ
カステラを抱いて徘徊す
どうせ茶事で出たカステラを懐紙にでも包んで呉れたものだらう。鼻の下の黒い毛を撚りながらカステラ一つ持て余して居る容子を想像すると可笑しくもあり、些と気の毒でもある。
主人とカステラの話は、大病の最中カステラを欲しがつたり、カステラの妙な当字を考へついたりと他にもあるが、主人の文章と我輩のとを掻き交ぜて書きつけたこんなものが見付かつたら「此馬鹿野郎」と怒鳴られるのが落ちだ。剣呑々々。此辺で止めて置く事にし様。
なつめそうせき
慶応3〜大正5年(1867〜1916)
東京生まれ。本名、金之助。東京帝国大学英文科卒。生まれた翌年が明治元年。明治日本の欧米化と近代化の渦中に生きて、2年間の英国留学を含め、悩める知識人としての生涯だった。処女作『我輩は猫である』に始まって『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』『三四郎』『それから』『こころ』、中断のままの遺作『明暗』まで数多い作品で、森鴎外と並び立ち明治近代文学の二大巨峰を形成する。
大正5年12月2日、持病の胃潰瘍から大内出血を起こし9日死去。遺体は文学の弟子であり主治医でもあった長与又郎によって解剖され、脳はいまも東大医学部に保管されている。
【印刷用ページはこちら】
【過去掲載分】
・一葉のカステラ、かしこ
慶応3〜大正5年(1867〜1916)
東京生まれ。本名、金之助。東京帝国大学英文科卒。生まれた翌年が明治元年。明治日本の欧米化と近代化の渦中に生きて、2年間の英国留学を含め、悩める知識人としての生涯だった。処女作『我輩は猫である』に始まって『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』『三四郎』『それから』『こころ』、中断のままの遺作『明暗』まで数多い作品で、森鴎外と並び立ち明治近代文学の二大巨峰を形成する。
大正5年12月2日、持病の胃潰瘍から大内出血を起こし9日死去。遺体は文学の弟子であり主治医でもあった長与又郎によって解剖され、脳はいまも東大医学部に保管されている。
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【過去掲載分】
・一葉のカステラ、かしこ

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